ハヤセ リョウ

マッチングアプリを愛し、マッチングアプリを愛した男、ハヤセ リョウ。
飽き性、ハヤセ リョウ

覚えてほしいこと

ハヤセは、トチギ出身である。
ハヤセの実家はコーギーのブリーダーをやっている。
ハヤセは、バイト歴が酷い
ハヤセは、日本一周していた。
ハヤセは、やきいも屋もしていた。
まじめな話

1.自己紹介

名前:ハヤセ リョウ
趣味:将棋・マッチングアプリ
出身地:栃木県小山市
1995年6月1日生まれ(24歳)

父親と母親は、脱サラして印鑑業をはじめたものの失敗しました。
現在は、復活しコーギーのブリーダーをやっています。

joe

飼い主、募集中☆(30万〜)

中学生時代

小学校は特に何もなく過ごし、中学校では、「変わったことをやりたいな〜」と思い
「ハンドボール部」に入部しました。根っからの運動音痴だったので、とりあえず試合に出たいと思いキーパーに転向。

しかし、キーパーでも補欠でした。

プログラミングとの出会い

当時は、部活の顧問に怒られるのがとても嫌だったので、少しだけ勉強に励み、比較的良い成績をとることができました。良い成績のご褒美に父親がパソコンを買ってくれました。

富士通のFMV CPUはCeleron メモリ512MB HDDは100GB。
当時は10万円ぐらいしたようですが、今のスマホの方が機能が良い・・・

しかし、パソコンという何でも手に入る魔法のようなものを手に入れた私は毎日、毎日パソコンを触り続けました。当時は、DSやPSPで違法ダウンロードしたソフトを入れることにハマっていました。

そんな中で、「グランド・セフト・オート・サンアンドレアス」という人を殺したり、 強盗をしたりする自由度の高い18禁のゲームを友達の家でプレーすることで、こんなに自由なゲームが存在するのかと衝撃を受けました。

それを機に自分もゲームを作ってみたいという欲が高まり、「HSP」というプログラミング言語をつかいプログラミングを始めることにしました。最初に作ったゲームは、「チャーハン作るよ」という上からチャーハンの具材材が落ちてきて、それをひたすら拾うというゲームでした。

プログラミングは、好きだったものの、工業系の高校には進まずに特段といって将来の夢もなかったので、ハンドボール部のある自称進学校に進みました。

高校時代

高校時代は、うるさい顧問もいなくなったのでネジが外れ全く勉強をしなくなりました。
毎日、部活に行き、疲れて帰って寝る。という日々を送っていました。

しかし、パソコンへの熱は一切冷めずに、自作PCを作ったりしていました。

こんな感じで全く勉強していなかったので高校3年生のときに受けた模試では偏差値47。
部活を終わったので志望校でも決めるかと思い、決めた先は、知名度が高そうな早稲田大学に。

半年間、必死に勉強しましたが不合格。人生で1番ショックな瞬間でした。
なんとなく滑り止めで受けていた公立大学に受かり、浪人するのも嫌だったので、そこに進学しました。

大学進学後と同時に群馬で1人ぐらしをスタート。

親元から離れたので、髪を染めて大学生デビュー。かといって、飲みサーに入るような勇気はなかったのでハンドボール部に入部することに。

部活も週3で基本的には暇だったので、パチンコとバイトにのめり込みました。

【大学生の頃やったバイト】
・パチンコ屋 A
・パチンコ屋 B
・パチンコ屋 C
・某ラーメンチェーン
・某居酒屋チェーン
・ヤ◯ザキパンの工場
・トヨタ系の自動車部品工場
・某ファションメーカーの工場のピッキング
・コーヒー豆をひたすら焙煎する仕事
・瓶の不良をひたすら仕分ける仕事
・ドラッグストアのピッキング
・アンケート調査

とりあえず、色々なバイトをしました。中でも1番きつかったので「ヤ◯ザキパンの工場」です。
このバイトは21時〜6時くらいのバイトで、自分は食パン課というところに配属され、ひたすら流れてくる食パンの焦げを削るという作業をしました。今でも、この経験がトラウマ?になり、パンの焦げが食べれません。

次にキツかったのが、コーヒー豆をひたすら焙煎する仕事です。「初心者、大歓迎☆ 軽作業」と書かれていたので応募した結果、30kgの米袋に入ったコーホー豆を2階から1階に降ろし、ひたらすら焙煎機にいれるという地獄作業。

その後、なんとなく語学を学ぶためにカナダに留学。

飽きたので帰国して日本一周の旅へ。


上記は高知の一番下の室戸岬です。公園みたいになっているので野宿にオススメです。

上記は、北海道の支笏湖です。10月なのに雪が降ってました。

上記の新潟の「道の駅 笹川流れ」。大体こんな感じで野宿します。

やきいも屋さんを開業


冬のとある夕暮れ、外から「いしや〜きいも、おいしい〜いも〜」という音声が聞こえてきました。
一度も買ったことのない、やきいも屋さんですが、なぜか買うことに。

やきいも屋をやっていたのは40代後半のおじさん。色々と話しているうちに話しの流れで私も「やきいも屋」をやることになりました。
とりあえず、軽トラを実家から借りて、貯金をすべて下ろし、窯を買い、はじめました。

2、卒業と就職

将来の夢や希望もなく、なんの取り柄もなかったけれど、お金持ちになりたかったので
戦闘力が付きそうな、ベンチャー企業に営業職として就職することに。

ベンチャー企業では、インターンとして毎日働きました。
やっていた内容は、超アナログでテレアポでした。1日に300件弱の電話をかけて
社長のアポイントを取り続けるというもの。

辛さの極みではあったものの、忍耐力は、このテレアポで学ぶことができました。

インターン中に、テレアポで取得した情報を3回、繰り返しで入力する部分があり、時間の無駄だなーと思い当時の上司にシステム化を提案。もちろん、断られたので自分で作ることを決意

エンジニアの道のが、もしかして向いているのではないかと思い、これを機にエンジニアの道に転向。

2.転職の決意

当時、勤めいた企業はB to B向けのプラットフォームを作っている企業だったため、エンドユーザーとは中々、関わりが持てませんでした。

あるとき、自分がどうしてプログラミングをはじめたのかを深く考える機会があり、エンターテイメントを創造しみんなを喜ばせるような人になりたいと思い、退職を決意。

3.入社動機

入社の動機としては、エンドユーザーに触れ合え、それを実践できる + エンターテイメント性があり、世界を変えることができるのではないかと思い入社を決意しました。

4.中長期的な目標

中長期的な目標として、IT技術を用いて、エンターテイメント業界を変えていきたいと思っています。
特にナイトワーク等の分野では、未だに2000年代のHPであったり、前時代的なマッチングの仕組みを用いているところが多いです。

そういったIT化の遅れている分野を変革していくことで、みんながハッピーな社会づくりの手助けをしたいです。

5.みんなへのお願い

東京に暮らして1年ぐらいが経ちますが、東京の遊び方がわからないので東京の遊び方を教えて下さい!

6.エンジニアとしてのポートフォリオ

・企業のWikipediaのようなサイト
・企業のお問い合わせフォームに自動でお問い合わせを送り続けるプログラム
・空いている時間を登録するアプリ
・某マッチングアプリで無限に「Like」を押して、インスタグラムのIDなどがプロフィールにあったら、自動で保存するプログラム

 

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